大掃除をしました。ちょっと歪んでいるNSR50のフレームは二つ捨てることに。
それでもまだ一個予備で残ってるし。QICとかDATなんかも捨てました。

そして押し入れの奥から雑誌を...これはたまらない! 当時の熱気がムンムンと 伝わってくる。どの写真も空気感がいい。これはノスタルジーによるものなの だろうか?

バリバリマシン'88 9月号の北海道特集。この写真は手稲山常連s。みんなほと んど忘れてしまった。
僕の上でハングオンしてるのがシバッチ。真後がさおとめさん。左がナカチャ ン。さらに左斜め上の女の子の隣が、ホットロードの1KTに乗ってた人。隣がラー マ、イケチャン、ミスター、下段、左から二人目の人の名前が思いだせない。 NSの人。よくしゃべってたんだけど...

これは北海道ローカルのレース雑誌。レースブームの当時でも創刊してしばら くして休刊してしまった。当時、レーシングビートという全国紙のレース冊子 もあったのだけど、これも続かなかったな。ちょっと当時でもマニアック過ぎ たか。

HSP選手権のお祭りは最終戦の後に開催される二時間耐久。この前年(88)、ま だ手稲山を走っていたころ、大西選手(現オーニシヒートマジック社長)に誘わ れて、大西選手のご両親と共に観戦、「俺もここに来たい!」と決心したんだ。
これは89。予選は15位、決勝は上位陣の転倒に助けられてなんと4位!うれしかっ た。翌年の90耐久は、予選は3位! しかし決勝は...思いっきり転倒しました...TT

Do Bikeもあったよ。

マーカー引いてるし^^。よっぽどうれしかったらしい。こう見てみると首の傾け 方は昔から変わってないね。

こんなモータスポーツの雑誌も当時ありました。とってあるからには俺が載ってるに違いない...。

これか...90の3戦だ。23が嫌なのはこれなんだ。一生に一度のレースと考えて 参戦した89のSP250だったのだけど、どっぷりはまってしまった。どうしてもレー スがしたいということで、ちょっとコストの低いGP125にしようとした。87の RS125あたりなら10万くらいからあったので、それを狙っていたところ、親父が、 レースやるなら買ってやると言ってくれたのだ。それで新車の90RS125 Rを買っ てもらい、参戦したこのシーズンだった。
初戦で4位でNA昇格。2戦は雨、ヨコハマレインのおかげでそこそこだった。
そして向かえた3戦。タイムは伸び悩み、予選は沈んでしまった。そしてこの レースには、家族旅行で東京から観戦に来ていた。そして大学の女の子もね。
スタートは大失敗。ウォーミングアップラップで1速まで落としてなかったのだ。 この時のトラウマで未だに3回くらい1速のチェックする。
とにかく抜いて抜いて...3コーナーでアウトからかぶせたところでイン側の 転倒にまきこまれて転倒。ふざけんなっと頭に血昇ってそのままコース復帰、 バックストレッチを全開で走って、S字の前。
ブレーキレバーがない。
ブレーキペダルもひしゃげてしまって踏めない。
なんとかスリップダウンに持ちこまなきゃ(この前年、ストレートエンドで 焼き付いて真っ直コースアウトして窪みでジャンプして3コーナーのバリアに 激突して亡くなってしまった先輩がいたので、これだけは最後に思った。)
気がついた時には全レース終わって、フロントぐっしゃりのRS125が...。
この後、遠征に西仙台にもエントリーしてたんだ。とても楽しみにしてたのに それもオジャン。夜になって病院に親父がやってきて、事の顛末を話してるう ちに、どうにも耐えられなくなって4人部屋なのにオイオイ泣いたよ。
これ以上ない体制で望んだシーズンだったのにね...。

バリバリマシンも86-94まで年代順に整理。これも見はじめるとキリがないよ。

ガルルは86から3冊ほどあった。当時はMTX50Rだったからね。この時代は熱いよ。

これはXL250にスズキのGF250を乗せてしまった車体。あと、DT200にTZR250を乗 せたのもあったのだけれど、残ってなかった。

バリバリマシン見てるとありましたよ。藤巻選手。ぶっちぎりA2か...負けた。

僕はぶっちぎりA止まりだ。実を言うとこの頃ツナギが欲しくて、ぶっちぎり A3を狙って投稿したんだよね。これは京浜島。当時はまだ羽田が古い滑走路だっ たから、真上に落ちてきそうな飛行機が見えた。それを見るのが結構楽しかっ た。

掃除はぜんぜん進んでません。

そして押し入れの奥から雑誌を...これはたまらない! 当時の熱気がムンムンと 伝わってくる。どの写真も空気感がいい。これはノスタルジーによるものなの だろうか?

バリバリマシン'88 9月号の北海道特集。この写真は手稲山常連s。みんなほと んど忘れてしまった。
僕の上でハングオンしてるのがシバッチ。真後がさおとめさん。左がナカチャ ン。さらに左斜め上の女の子の隣が、ホットロードの1KTに乗ってた人。隣がラー マ、イケチャン、ミスター、下段、左から二人目の人の名前が思いだせない。 NSの人。よくしゃべってたんだけど...

これは北海道ローカルのレース雑誌。レースブームの当時でも創刊してしばら くして休刊してしまった。当時、レーシングビートという全国紙のレース冊子 もあったのだけど、これも続かなかったな。ちょっと当時でもマニアック過ぎ たか。

HSP選手権のお祭りは最終戦の後に開催される二時間耐久。この前年(88)、ま だ手稲山を走っていたころ、大西選手(現オーニシヒートマジック社長)に誘わ れて、大西選手のご両親と共に観戦、「俺もここに来たい!」と決心したんだ。
これは89。予選は15位、決勝は上位陣の転倒に助けられてなんと4位!うれしかっ た。翌年の90耐久は、予選は3位! しかし決勝は...思いっきり転倒しました...TT

Do Bikeもあったよ。

マーカー引いてるし^^。よっぽどうれしかったらしい。こう見てみると首の傾け 方は昔から変わってないね。

こんなモータスポーツの雑誌も当時ありました。とってあるからには俺が載ってるに違いない...。

これか...90の3戦だ。23が嫌なのはこれなんだ。一生に一度のレースと考えて 参戦した89のSP250だったのだけど、どっぷりはまってしまった。どうしてもレー スがしたいということで、ちょっとコストの低いGP125にしようとした。87の RS125あたりなら10万くらいからあったので、それを狙っていたところ、親父が、 レースやるなら買ってやると言ってくれたのだ。それで新車の90RS125 Rを買っ てもらい、参戦したこのシーズンだった。
初戦で4位でNA昇格。2戦は雨、ヨコハマレインのおかげでそこそこだった。
そして向かえた3戦。タイムは伸び悩み、予選は沈んでしまった。そしてこの レースには、家族旅行で東京から観戦に来ていた。そして大学の女の子もね。
スタートは大失敗。ウォーミングアップラップで1速まで落としてなかったのだ。 この時のトラウマで未だに3回くらい1速のチェックする。
とにかく抜いて抜いて...3コーナーでアウトからかぶせたところでイン側の 転倒にまきこまれて転倒。ふざけんなっと頭に血昇ってそのままコース復帰、 バックストレッチを全開で走って、S字の前。
ブレーキレバーがない。
ブレーキペダルもひしゃげてしまって踏めない。
なんとかスリップダウンに持ちこまなきゃ(この前年、ストレートエンドで 焼き付いて真っ直コースアウトして窪みでジャンプして3コーナーのバリアに 激突して亡くなってしまった先輩がいたので、これだけは最後に思った。)
気がついた時には全レース終わって、フロントぐっしゃりのRS125が...。
この後、遠征に西仙台にもエントリーしてたんだ。とても楽しみにしてたのに それもオジャン。夜になって病院に親父がやってきて、事の顛末を話してるう ちに、どうにも耐えられなくなって4人部屋なのにオイオイ泣いたよ。
これ以上ない体制で望んだシーズンだったのにね...。

バリバリマシンも86-94まで年代順に整理。これも見はじめるとキリがないよ。

ガルルは86から3冊ほどあった。当時はMTX50Rだったからね。この時代は熱いよ。

これはXL250にスズキのGF250を乗せてしまった車体。あと、DT200にTZR250を乗 せたのもあったのだけれど、残ってなかった。

バリバリマシン見てるとありましたよ。藤巻選手。ぶっちぎりA2か...負けた。

僕はぶっちぎりA止まりだ。実を言うとこの頃ツナギが欲しくて、ぶっちぎり A3を狙って投稿したんだよね。これは京浜島。当時はまだ羽田が古い滑走路だっ たから、真上に落ちてきそうな飛行機が見えた。それを見るのが結構楽しかっ た。

掃除はぜんぜん進んでません。
