090429

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大掃除をしました。ちょっと歪んでいるNSR50のフレームは二つ捨てることに。
それでもまだ一個予備で残ってるし。QICとかDATなんかも捨てました。



そして押し入れの奥から雑誌を...これはたまらない! 当時の熱気がムンムンと 伝わってくる。どの写真も空気感がいい。これはノスタルジーによるものなの だろうか?

バリバリマシン'88 9月号の北海道特集。この写真は手稲山常連s。みんなほと んど忘れてしまった。
僕の上でハングオンしてるのがシバッチ。真後がさおとめさん。左がナカチャ ン。さらに左斜め上の女の子の隣が、ホットロードの1KTに乗ってた人。隣がラー マ、イケチャン、ミスター、下段、左から二人目の人の名前が思いだせない。 NSの人。よくしゃべってたんだけど...

これは北海道ローカルのレース雑誌。レースブームの当時でも創刊してしばら くして休刊してしまった。当時、レーシングビートという全国紙のレース冊子 もあったのだけど、これも続かなかったな。ちょっと当時でもマニアック過ぎ たか。

HSP選手権のお祭りは最終戦の後に開催される二時間耐久。この前年(88)、ま だ手稲山を走っていたころ、大西選手(現オーニシヒートマジック社長)に誘わ れて、大西選手のご両親と共に観戦、「俺もここに来たい!」と決心したんだ。
これは89。予選は15位、決勝は上位陣の転倒に助けられてなんと4位!うれしかっ た。翌年の90耐久は、予選は3位! しかし決勝は...思いっきり転倒しました...TT

Do Bikeもあったよ。

マーカー引いてるし^^。よっぽどうれしかったらしい。こう見てみると首の傾け 方は昔から変わってないね。

こんなモータスポーツの雑誌も当時ありました。とってあるからには俺が載ってるに違いない...。

これか...90の3戦だ。23が嫌なのはこれなんだ。一生に一度のレースと考えて 参戦した89のSP250だったのだけど、どっぷりはまってしまった。どうしてもレー スがしたいということで、ちょっとコストの低いGP125にしようとした。87の RS125あたりなら10万くらいからあったので、それを狙っていたところ、親父が、 レースやるなら買ってやると言ってくれたのだ。それで新車の90RS125 Rを買っ てもらい、参戦したこのシーズンだった。
初戦で4位でNA昇格。2戦は雨、ヨコハマレインのおかげでそこそこだった。
そして向かえた3戦。タイムは伸び悩み、予選は沈んでしまった。そしてこの レースには、家族旅行で東京から観戦に来ていた。そして大学の女の子もね。
スタートは大失敗。ウォーミングアップラップで1速まで落としてなかったのだ。 この時のトラウマで未だに3回くらい1速のチェックする。
とにかく抜いて抜いて...3コーナーでアウトからかぶせたところでイン側の 転倒にまきこまれて転倒。ふざけんなっと頭に血昇ってそのままコース復帰、 バックストレッチを全開で走って、S字の前。
ブレーキレバーがない。
ブレーキペダルもひしゃげてしまって踏めない。
なんとかスリップダウンに持ちこまなきゃ(この前年、ストレートエンドで 焼き付いて真っ直コースアウトして窪みでジャンプして3コーナーのバリアに 激突して亡くなってしまった先輩がいたので、これだけは最後に思った。)
気がついた時には全レース終わって、フロントぐっしゃりのRS125が...。
この後、遠征に西仙台にもエントリーしてたんだ。とても楽しみにしてたのに それもオジャン。夜になって病院に親父がやってきて、事の顛末を話してるう ちに、どうにも耐えられなくなって4人部屋なのにオイオイ泣いたよ。
これ以上ない体制で望んだシーズンだったのにね...。

バリバリマシンも86-94まで年代順に整理。これも見はじめるとキリがないよ。

ガルルは86から3冊ほどあった。当時はMTX50Rだったからね。この時代は熱いよ。

これはXL250にスズキのGF250を乗せてしまった車体。あと、DT200にTZR250を乗 せたのもあったのだけれど、残ってなかった。

バリバリマシン見てるとありましたよ。藤巻選手。ぶっちぎりA2か...負けた。

僕はぶっちぎりA止まりだ。実を言うとこの頃ツナギが欲しくて、ぶっちぎり A3を狙って投稿したんだよね。これは京浜島。当時はまだ羽田が古い滑走路だっ たから、真上に落ちてきそうな飛行機が見えた。それを見るのが結構楽しかっ た。

掃除はぜんぜん進んでません。